占有意思、物の所持によって得られる利益を自己に帰属させる意思を占有意思というが、占有権の取得には占有意思が必要であるとする立場(主観説・主観主義)と占有意思の有無を問わない立場(客観説・客観主義)がある。ドイツ法(ドイツ民法854条)やスイス法(スイス民法919条)は客観主義をとるが、日本法は自己のためにする意思を占有権取得の要件としている(主観主義。180条)。占有意思は客観的に占有を生じた原因につき定められる(通説)。ただ、日本の民法の解釈においても占有意思の要件については大きく緩和されており、潜在的・一般的なもので足りるとされ、不在中に配達された郵便物等にも占有意思は認められる。
相馬市
福島県浜通りの北部に位置する市。
太平洋沿岸の都市で、松川浦や相馬野馬追で有名である。宮城県に隣接しており、仙台大都市圏にも含まれている。
福島県の浜通り北部に位置する都市である。戦国時代後期から江戸時代にかけて相馬氏の本拠地であり、特に江戸時代には中村藩6万石の城下町として栄えた。相馬市制施行以前は宇多郡に属していた。
近隣の相馬郡や南相馬市を含めた相馬エリアの中で相馬市は行政機関の出張所が集約された土地であり、福島県中通りへのアクセスに最も長けた要所としての特徴を有する。港湾や海水浴場といった海辺を活かした産業で賑わいを見せている。
相馬野馬追が有名であり、当地の藩主であった相馬氏との縁は深く、近代まで相馬野馬追の出陣式に相馬氏の当主を招いていた。また相馬氏が馬の紋章を用いた事に因んで、市街地には馬の銅像が点在する。
また二宮尊徳が飢餓・飢饉に陥った各地の村々に仕法(村興しの有効策)を行った土地でもある。中村城跡にある相馬中村神社は、妙見菩薩と平将門を奉る神社として今尚参拝者が多い。相馬盆唄など多くの民謡の発祥地でもある。
西に阿武隈高地・相馬丘陵と霊山を最高峰に山々が峙え、東が太平洋に面しており、宇多川と小泉川の河口にできた潟湖である松川浦が存在する[2][4]。県庁所在地の福島市(40km)へは国道115号で、浜通り地方最大都市のいわき市(90km)へは、南北に貫く常磐線・国道6号・常磐自動車道で移動する事が可能である。相馬市を含む浜通り北半分(相馬・浪江エリア)の地理的特徴として、阿武隈高地を越えて福島市、夜ノ森を越えていわき市、駒ヶ嶺を越えて宮城県境と、各主要都市へ向かうには難所を通る必要がある。
福島県が東北地方に区分されている事から雪が多いと思われがちだが、相馬市を含めた浜通りは冬に雪がほとんど降らない温暖な気候でありながら夏は涼しい、福島県太平洋沿岸部に見られる特徴である。 日本海からの季節風は山脈によって遮られるため、冬場でも雪が少ない。8月の平均気温は23.7℃と夏は涼しく、熱帯夜になることはほとんど無い。1月の平均気温は1.8℃と福島県の中では温暖な気候であるが、2010年2月7日の寒波で-14.0度を観測し、1976年12月の観測開始以来の最低気温記録を26年ぶりに更新した。
南相馬市
福島県浜通り北部に位置する市。
相双地方で最大の人口を有する地方公共団体である。毎年7月下旬に開催される相馬野馬追で知られる街である。
東は太平洋に面しており、2011年の東日本大震災では津波[1]および福島第一原子力発電所事故による影響を受け、復興に取り組んでいる。
国の重要無形民俗文化財に指定されている相馬野馬追が行われる。南相馬市はSF映画戦国自衛隊の撮影に使われ、相馬野馬追が劇中で使用された。市内の高校生がエキストラとして協力している。
北泉海岸はサーフィンが盛んなことでも知られており、夏になると世界大会が開催される。
震災からの復興の一環として、福島イノベーション・コースト構想により市内に福島ロボットテストフィールドが設置されるなど、国内でも有数のロボット開発・検証環境が整っている。
関東大震災を最初に世界に伝えた原町区の原町無線塔は、高さ約200mで、当時アジアで最も高い建築物だった。しかし、老朽化などから1982年に解体され、現在は原町区に1/10スケールの記念塔である憶・原町無線塔がある。
暖流の影響により、夏は冷涼で冬は温暖な気候である。降雪量は東北地方としては少なめであるが、南岸低気圧が通過した際には大雪が降ることがある。山沿いにある原町区馬場や片倉地区、小高区川房、金谷地区などは積雪量が多くなる。